天才Vaundy(バウンディ)さんの「replica」を聴いています。
彼は制作時(作詞時)、『メロディを翻訳する』のだとか。
Apple Musicに載っていたインタビュー記事で知りました。
メロディを翻訳する、というその表現!
作詞作曲をするとき、「どっちから??」という話はよくあるハナシ。
俺は曲先(曲から先に作る)、もしくは「メロと言葉を同時に出す」派です。
詞先、ってのはほとんどないです。
Vaundy(バウンディ)さんは「メロディを翻訳する」ので、つまり曲先ということですね。
Vaundy(バウンディ)さんが曲先だろうが、詞先だろうが、そんなことはどっちでもよくて、とにかくサイコーにかっこいい音楽を聴かせてくれるだけでリスペクトなのですが、
「メロディを翻訳する」というその表現が天才すぎるよね
というのが凡人の感想です。
自分の好奇心くらい
曲を作ろう、とする時、俺は。
- ギターをぽろんと鳴らして鼻歌をフンフンと口ずさむ。
- 音楽制作ソフトを起動させ、MIDI鍵盤をポーンと叩く。
- お気に入りの音楽や映画などからインスピレーションを得ようとする
が、通常ルーティーン、でしょうか。
ミュージシャンの皆さんもそれぞれのやり方で、何かを”絞り出そう”としているはずです。
きっと、Vaundy(バウンディ)さんだって例外ではない、と思います。
どのようなやり方を用いようが、それはそれでいいんです。
『Vaundyはメロディを翻訳する』
という表現を見習って、俺なりに言い方を変えてみたくなった、のであります。
俺の”曲を作ろう”である上記3つを、
- ギターの音色が放つその光を、ゆっくりと紡ぐ
- Cubaseの導きに従って、音の群れと戯れる
- 大好きな映画や音楽は、俺の心拍をグルーブさせる
と、変えてみます。
キザでチープな表現かもしれません。
しかし、内なるアーティスティックな部分がグッと底上げされるような感覚があります。
この感覚は、若い頃のほうが強かった気がするし、恥ずかしいと感じることもなく、ごく自然に、体の中心にあったような気がします。
肉体的な老化はある程度受け入れざるを得ないこともありますが、ここでいうトコロの”感覚の老化”は、すぐに若返らせること(元に戻すこと)ができそうです。
自分にある好奇心を自由にさせてあげるだけで良いのですから。
音楽に感動したあの頃の好奇心を、そっくりそのまま受け入れるだけで良いのですから。
やれやれ。俺よ。
音楽制作・音楽活動において、日常的に感じている不自由さを、時代のせいにするなよ。
仕事のせいにするなよ。
暮らしのせいにするなよ。
年齢のせいにするなよ。
みずからを甘やかし、責任を他に押し付け、情熱をほったらかしにして育むのを怠っておいて・・・。
自分の好奇心くらい、自分で守れ。ばかものよ。