最近、立て続けに電車に乗っていて、痛みを伴うほど見かけます。
スマホしか見ていない人を。
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時代遅れ派に憧れます。
詩人・茨木のり子さんの『時代おくれ』という詩を読みました。
とても好きな”ジャンル”の詩で、
「そうだな。俺も”時代遅れ派”がいいなー。」
と思いました。
スマホがないと生きていけない人が激増していて、自分もその利便さにどっぷりとあやかってはいるものの、
「度が過ぎるのはいかがなものか」
と思いますし、特に歩きスマホは見苦しく、美しくない。
はたから見れば嘲笑(ちょうしょう)の時代遅れ けれども進んで選び取った時代遅れ もっと遅れたい
と、茨木さんは謳います。
YEAH!!です。
できるだけ、「使い捨て文化」から外れたいと思っている俺です。
すぐに古びるがらくたは 我が山門に入るを許さず
と、茨木さんは詩に刻みます。
とても共感したいトコロです。
スマホやパソコン、音楽ソフトなんかは、茨木さんから見たら”すぐに古びるがらくた”の典型でしょう。(実際、すぐに壊れるし。)
AIが音楽を作るようになっても、俺は自分の手で”時代遅れな生楽器”を演奏し、楽器から放たれる”時代遅れな生音”を空気に溶かして、”進んで選び取った時代遅れ”かつ普遍的な音楽とともに、人生をますます謳歌したいと思います。