自身の意見を述べる時。
その意見が結果的に、遠回しに、他人の意見を否定することがある。
だから、黙っていよう。。
俺がしばらくブログを書かなかった理由の1つはそこにある気がする。
それは気にし過ぎかもしれない。
俺はこう思います!ということを書く。
それは俺の自由であり、尊厳でもある。
もしかしたら誰かを励ましたりすることもあるのだから。
さて。
短く、愛について。
愛というデカすぎる対象について述べるとき、そのデカさゆえ、だいたい話がそれる。
ってことをふまえて、愛について。
愛があるから人間は戦争をするのでしょう。
宗教上の愛。
金銭上の愛。
愛国心ゆえ。
家族を愛するがゆえ、人間は戦争をする。
今までもたくさん戦争をしてきたし、これからもアホみたいな理由で戦争を続ける。
犯罪やいじめなども、残念ながら絶対になくならない。
社会の流れが『戦争』に流れた場合、俺には止められない。
社会の流れを止めることなんて、俺には絶対にできない。
一体誰が止められるというのか・・
が。
自分の思考や行動は変えられるし止められる。
社会がどうであれ、俺は、戦争に参加しないことをここに宣言します。
軍人にもならないし、戦地にも行きません。
でも、『戦争に行かない!』と言えば家族が死刑となるのなら、仕方なくイヤイヤ流されるまま行くより他に選択肢はない。
「私たち家族のことは気にしないで。おとうさんは戦争に行くべきではないわ!」
と家族に懇願されて、「あ、そう?じゃ、みなさんさよなら。」と言えるわけない。
それも、愛。
そして、仕方なく軍人となった俺は戦地で人を殺したり、殺されたりする。
その事実は、愛によって赦される。
もしくは、憎しみの連鎖を生む糧となる。
赦しも、憎しみの連鎖も、それらはどれも愛である。
愛がどうであれ、社会がどうであれ、俺は戦争に行かない!
でも行かざるを得ない時は仕方なく行くことになる・・。
行っても行かなくても、いずれにしても俺は愛によって赦される。
愛ゆえに憎しみが復讐を果たすかもしれない。
愛とは、そういうものだと思っている。
で。もう一度。
俺は愛に従って戦争に参加しない!そして愛ゆえに戦争を赦す!
この矛盾を俺という人間ならではのまとめ方で示すなら、「私は神の愛と導きに従います」ということになるのかもしれません。
ここで言う神とは、宗教や信仰に限りません。