ギターやデニム系が好きなヒトの中には、もっぱら”ヴィンテージ派”のヒトたちが存在し、カリスマ的なヴィンテージ専門ショップが存在します。
大久保にある、世界的なカリスマヴィンテージギターショップのボスがとてもステキなフレーズを放っているのを、くっきーさんのYouTubeで聞いてしまいました。
一語一句、正確に覚えてはいませんが、
『私たちは素晴らしいギターを、大切に、ヒトからヒトへとつないでいく。ギターは人間より長生きしますから。』
と。
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ギターは人間より長生きする
とても高額で希少価値があり、
「こんなの誰が買うの??」
「弾くはおろか、触るのも怖いぜ!」
「弾かずに保管するだけのギターになんの価値があるの??」
などなどとつぶやくヤカラもいるかもしれません。
でも、ヴィンテージが好きなヒトは、
「以前使ってたヒトはどんなヒトだったんだろう。きっともう亡くなってるだろうな。」
「このギターが生まれた街には、どんな風が吹いていたのかな。」
と、そのギターを眺めながら色んなことに思いをはせ、あれやこれやと想像を楽しむそうです。
いわゆる”浪漫”ですね。
まったくわからないワケではありません。
デニムにしても、家具や食器にしても、ヴィンテージならではの浪漫を感じることがあります。
いつか、俺のギターにも浪漫が訪れる
俺の所有しているギターにはヴィンテージはありません。
ほぼほぼどれも新品で購入したものです。
ヴィンテージギターのような高額なものもなく、希少価値もそこまでないですね。
メンテナンスは怠らないけど、ガンガン弾き倒すので、フレットが減ったりボディに傷が入ったり、、はします。
俺にとってのギター価値は、「楽器として大切に扱われたギター」かどうかです。
ギターを見て、持って、鳴らせば、そのギターの扱われ方がわかります。
ギターを楽器としてとらえるなら、”弾かずに大切に保管する”のは、俺の感覚で言えばただの虐待です。
それを高額で売買し、資産価値として所有される・・・なんて、俺の感覚で言えば人身売買に近い不快感があります。
楽器は弾いてなんぼ。下手でもいいから、弾いて弾いてなんぼ。
俺の大切なギターも、ヒトからヒトへと繋がれていき、100年後もまだミュージシャンに必要とされるギターであってくれたらいいな。
俺が死んだ後も、楽器として生きてくれていたら嬉しいな。
俺の知らないところで、俺の知らない誰かが、俺が所有していたギターに浪漫を感じる日が、いつか訪れるのだなあ。。。
と感じることもまた、浪漫であります。