毎日、”日記のようなもの”を書くのが習慣です。
もう、かれこれ20年近くは続いているでしょうか。
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ただ、書くだけ
”日記のようなもの”は特に何も考えずに書きます。
がががー、っと書くだけ。
誤字があっても、脱字があっても、あまり気にしません。
何も考えずリズミカルに書いていると、その文章や文字面から、自分が意識していないようなことが見えてくることがあります。(それを待ちながら書いている、ってのもあります。)
パソコン(Mac)のテキスト機能(メモ)を使うこともあるし、ノートに手書きすることもあります。
パソコン(Mac)に書いているものは誰にも見られないようにパスワードを設定しています。
書き終えた手書きノートは、早い段階で処分しています。(見られる前に・・・)
ただ書く。
心に浮かんだことを爆速で文字に落とす。
思考のデトックス、ですね。
読み返すことは少ないです。
なぜか。
それは、読み返すのにはそこそこ勇気が必要だからです。
ずいぶんと変わってしまった自分(悪い意味で)や、全く変わらずに同じ思考でくすぶっている自分に出会って、がっかりすることがあるからです。
逆に。
少しずつでも成長しているな、とか、考え方って変わるものだな、といった嬉しい気付きを楽しむこともできます。(まれに、ですが。)
書く、と会話は等しい
書くという行為は、会話することと似ているなー、と思います。
友達のハナシを聞いたり、自分の話を聞いてもらったりしていると、
「あ。俺って実は、〇〇を〇〇ってな感じでとらえてたんだな」
と客観的に気づいたり理解できたりすることがあります。
と、同じような”効果”が、”書く”という行為からも得られることがあります。
書く、をはじめたきっかけ
以下は、当時の長渕剛さんの作詞にまつわるエピソード。
どこかの誰かから聞いたもの。(か、どっかのネット情報で知ったもの)
「死んじまいたい」、と思った。ピアノをポンと鳴らして「死んじまいたい!」と叫んだ。でも勝手に「(死んじまいたい)、ほどのー」と声が出た。死にたいはずなのに、心が「そんなものの1つや2つ、」と励ましてきた。
と。
これか名曲「ステイドリーム」の作詞の話です。
このエピソードを聞いて、”書く”に俄然興味を持ったのです。
彼は作詞時、1冊のノートに思いをガガガーっと書くという方法を用いていると聞きました。(もちろん、全曲その方法で書いているわけではないと思いますが。。)
書いて書いて、書き続けると、自然と心の声が言葉に変わっていく。
神秘的な現象です。
「この人と話をしていると、知らなかった自分に気づく。」
ってのも神秘的ですね。
たくさんの素敵な人に出会って、たくさん話ができたらいいなあ。
そのためには、自ら外に出かけていかないとね。